2021.9.27 お願い〜農場に遊びにいらっしゃる時に、お土産は・・・

農家の春夏秋冬について

まいったなぁ。。。


ここ1週間は、私は遊んでいます。 はたから見れば、バギーをいじくったり、火花を散らして溶接したり、、、


近所の人と話し込んだり。遊んでいます。


事務仕事をする時間があるのが嬉しい。そんな1週間です。 個人的にも、ここ1週間は遊んでいるなぁ、、、と焦りがあります。やることは山積みなのに、今、この瞬間にやれることが無い。農作業はジャスト・タイミングが重要ですから、前倒しでやれることには限界がある。


今日は「春夏秋冬」について書いてみます。


秋の種蒔きは1週間が勝負だ。時期を逃すと〝もの”にならない。ここは天気を見ながらの真剣勝負。ここ数年はニンジンの種蒔きが難しかった。今年の夏は雨が多かったので、ニンジンの価格は下がる。ニンジンはセリ科で、種を見れば分かるんだけど、細長い形をしている。種の旧水力が低い。乾燥に弱い。葉っぱのかたちも高温に耐えるような形になっている。イヌトウキも同じセリ科で、発芽の難しさを林さんが教えてくれた。もう10月になれば冬だ。


私は、農業を始めてから、草の種類は「夏」と「冬」しかないことに気付いた。


だから、日本の四季は、農業者から見れば嘘だ。本当は「夏」と「冬」しかない。これは重要な視点だ。「四季」という概念は人間中心的な概念だと思う。


農業者における「秋」は、種を播く、ほんの一瞬の、逃せば致命傷のタイミング、、、といった感覚である。秋とは、夏から冬に向かう一瞬の過渡期だ。9月に入れば一気に日照が減る。関東では8月20日頃から、草の伸び方が変わる。ほんとに凄い変化が畑にはある。


同様に「春」は、一年のはじまりであり、草との戦いという意味合いがある。春は、冬に育てていた野菜が、一斉に花を咲かせ、出荷不能になる。最近の3月は温かい。だから3月以降に一気に野菜が不足する。それは冬野菜が春を迎えて、生殖成長(子孫を残すモードになって)、人間の可食部がなくなるためだ。春という一瞬(桜の花が咲く1~2週間)は、農家にとっては切り替えの時期だ。冬野菜を片付けて、夏野菜に切り替える。


さて、小中学生の国語の文章で、東京都上野村を取り上げたものが、ここ数年多い。「循環型の生活」を推奨する文脈で書かれる。あと少ししたら、SDGsという文脈に代わるだろう。彼ら評論家の文章は本当にキレイで非の打ちどころがない。これからの世界性を語っている。同感だ。


ただ、上野村の住人感覚は全く違う。生活は前近代的で、必死に生きている。雨が降れば家にこもり、晴れの日に食料を調達し、夏には冬の事を考える。グルグル回る循環とか、そういう抽象化された単純さはない。ヌカ床をかき混ぜるという単純な作業にも、微生物の微妙な変化を感じ取る感性が必要な世界だ。ミキオさんの酵素風呂も同じだと思う。


このあたりの、現代人が忘れてしまった感覚こそ、私が伝えるべき農業者の視点なのだが、私も感覚が鈍くて・・・


神田大浦農場は、冬が来れば畑作業はない。畑が凍り、微生物も活動を止める。日々の出荷作業に専念できる。だから、私が対外的に大きく動くのは、実は冬だ。冬に集中して動かないでいつ動くのか。じっくり腰を落ち着けて特定の作業に〝専念できる”状態になる。雪深い場所では仕事そのものが変わる。スキーのインストラクターとか。そして、冬こそは、農家が夢を語り、新しい春に向けての、前向きな姿勢を醸成する期間だ。うちの農場では、そこで機械のフルメンテナンスと、次期作の準備をする。春の準備を前倒しでやらなければならない。


来年のために畑にソルゴーというトウモロコシの仲間を植えていたのを刈倒し、畑の微生物に分解させたい。気温が下がると、微生物の動きも弱まるので、今月中に土と堆肥を混ぜて畑で醸成させたい。春に微生物が活発化する前に、ソルゴーは分解しておきたい。微生物の活発化に伴い、ガスが発生し、それが作物に悪影響を与えるからだ。ですから、春の準備は「今」しかない。これをあと1か月後にやってもダメなんです。こういう四季にまつわる前倒しの作業は、動物もやっているんです。今、農場にはネズミがせっせと動いています。冬の準備をやっている。死活問題だ。

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